【第1回】渋沢栄一の精神と東北振興
- 構想しもきた

- 6月12日
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更新日:6月26日

将来の不安に関する情報が氾濫し、国民は夢や希望を抱きにくい世相になっていると感
じます。将来に備えることは必要ですが、過剰に反応すると人々の活気が失せてしまい、
国や地域の活力までも減衰してしまう恐れが心配されます。将来が不透明な時代だからこ
そ、未来への明るい灯明を見出すことが必要ではないでしょうか。
幕末から昭和初期までの91年間を生き抜き、「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一
(1840年~1931年)は、実業家・慈善家として多くの事業を手がけ日本の近代化に大いに
貢献しました。また大正2年に大凶作が襲った東北の復興にも深く関与しました。
彼が言ったと伝わる行動の指針、精神の根本を示す格言があります。
・夢なき者は理想なし
・理想なき者は信念なし
・信念なき者は計画なし
・計画なき者は実行なし
・実行なき者は成果なし
・成果なき者は幸福なし
・ゆえに幸福を求める者は夢なかるべからず
この言葉には、幸福を求めるなら、自ら夢や理想、信念をもって計画的に実行し成果を
あげることだ、との意味が込められています。人の生き方はもちろん、国家や地方の運営
にも当てはまる大切なことを示唆しています。元気のない今の日本には、まさにこの格言
が生きてくるのではないでしょうか。
渋沢と青森との関係について逸話が残っています。渋沢は1917年(大正6年)に東北地
方を巡回しました。その4年前に大凶作が東北地方を襲い甚大な被害が出て、東北の復興
がなかなか進まないことを心配し現状を見たかったのでしょう。青森では、川村県令(今
の知事)や青森の経済界を前にして講演を行いました(場所は当時の青森公会堂、現在の
浜町青森市福祉増進センターしあわせプラザ)。県令や経済界は大実業家の渋沢がわざわ
ざ来たのだから救済の金をもってきてくれたものと期待しましたが、渋沢は自力振興を唱
えるだけで、他人に依存する青森県側の姿勢に落胆したと記録に残しました。渋沢の哲学
には“自力更生”という言葉があり、自分たちで考え知恵を出して他者に依存ばかりするので
はなく復興してほしい、そのための支援なら惜しまない、という自立への期待があったよ
うです。農業以外に生活の糧になる産業がなく、“やませ”が原因で凶作の宿命を背負った
青森は、凶作続きで体力も精神も疲弊しきっていたのでやむを得ない面があったと思いま
す。この大正2年の大凶作を契機に、青森は中央との格差が広がる中にあって自立的な振
興は叶わない、中央・政府に依存しなければ生きていけない、という体質が強くなってい
ったとも言われています。これ以降、青森は国策に沿ったプロジェクトを誘致し推進する
ことになります。


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