【第1回】連載を始めるにあたり~国策と歩んだ150年~
更新日:7月28日
イギリスの歴史学者エドワード・ハレット・カー(1892~1982年)はその著書「歴史とは何か」(1961年刊、清水幾太郎訳)の中で、“歴史は現在と過去との対話である。現在に生きる私たちは過去を主体的にとらえることなしに未来への展望をたてることはできない”と語っています。過去の出来事から教訓を得て現代に活かす役割が歴史であるということで、歴史は繰り返すと言われますが、歴史を良く学ぶところから未来が開けるものと言えるのでしょう。
この連載企画では、幕藩体制が終わりを告げ、日本が近代国家として形づくられていく明治維新から現在までのおおよそ150年間に、本州最北端の下北半島が地域開発史においてどのような歴史をたどったきたのかを俯瞰し大きな流れをわかりやすく紹介します。学術的なことは避け、一般の方が下北半島が明治、大正、昭和、そして現在まで歩んできた開発の軌跡を身近に感じ、そこから未来につながるヒントを見出していただくことを願っています。
第1回は、150年をざっと駆け足で触れて、2回目以降から話を掘り下げて行く予定です。
下北半島は本州最北の半島のどん詰まりという恵まれない地理的な条件のもとで、かつては海上交通を利用して京・大阪や西日本との経済的、文化的、人的な交流が盛んでした。その結果、地域の内に閉ざされた社会と外に開かれた社会の2面性を合わせもちながら、独自の価値観と地域社会や伝統文化などを育んできました。菅江真澄や松浦武四郎といった江戸時代の冒険家や郷土史家はじめ多くの学識者が下北半島の特異性に注目し、民俗学や社会学など多面的な視点から研究が行われ、貴重な記録や文献が後世に残されました。
江戸が終わり明治になって以降、それまで辺境の地として評価の低かった下北半島は、政府や中央経済界と深いかかわりをもちながら国の政策に沿った開発の表舞台となりました。そして殖産興業と富国強兵が進められ、資本主義の国として発展していく過程で一定の役割を果たしました。とりわけ日本の国土開発の歴史において幾多の国家的な事業が展開されてきた全国的にも稀な地域です。
明治中期から大正にかけては、政府や中央財界と歩んだ時代でもありました。日清戦争(1894年)の後、大国ロシアの南進の脅威に備えるために政府は大湊に軍港を整備しました。また欧州と極東を結ぶシベリヤ鉄道や太平洋と大西洋を結んだパナマ運河(当初はニカラグア運河)が開通するなど、陸と海の交通ルートに大変革がありました。日本の実業界やジャーナリズム界がいち早く、北米とアジア・欧州との国際貿易が活発になることを見越しその中間である下北半島に着目します。津軽海峡はこの東西貿易ルートの最短に位置することから、大湊に貿易港を整備して中継地にすべしとの論調が高まります。しかしその大望は日露戦争やロシア革命によって絶たれてしまいます。
下北半島の大正は大凶作で幕を開けます。農業は壊滅的な被害を受け、渋沢栄一を中心に中央財界は救済に乗り出しますが、桜島の大噴火も重なり政府の財政難から成果を上げることはできませんでした。しかし海軍を中心に国策会社の大湊興業が設立され現在のむつ市の基礎づくりが進められたほか、国鉄(当時)大湊線を開通させ北海道と本州を結ぶ物流ルート(主に北海道の石炭を津軽海峡を経て本州に運ぶ)を開拓しました。またこの時期は戦争特需(1904年~1908年の第一次世界大戦)もあって、川内村(当時)の安部城鉱山が日本三大銅山の一つにまで栄え下北半島は大いに賑わいました。当時の川内村は青森県で弘前市、青森市、八戸町に次いで4番目に人口(約12000人)の多いまちに発展したのです。
昭和に入り、大湊の軍港は拡張され北方警備の拠点として栄えて町も軍都として発展しました。しかし太平洋戦争が終わり、下北半島は国の食料生産地として、また満州などからの引き揚げ者の雇用対策として開拓・入植が進められました。1960年代の高度経済成長期には国の政策として生産と製糖工業、また砂鉄を使った製鉄計画が進められましたが、国際環境の変化によって中断せざるを得ませんでした。1970年代は広大な未利用地を活用した大規模工業基地構想が浮上、政府と経済界が一丸となった「むつ小川原開発計画」が進められます。この構想は経済成長に伴い需要が急拡大した石油製品を生産するコンビナートをつくろうとするものでした。しかし折から二度にわたる中東戦争による石油危機が起こりあえなく構想も頓挫、代わりに国家石油備蓄基地が生まれました。
1980年代に入り、石油に代わるエネルギーとして原子力が脚光を浴び、下北半島は原子力にいち早く着目し、原子力施設の誘致を積極的に進めていくことになります。しかし2011年3月に起こった東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故によって、原子力計画も中断されてしまいます。地域には非はありませんでしたが、またしても国家的な事業は停滞してしまいました。このように下北半島の開発の歴史は外部環境に翻ろうされ不運としか言いようがありません。
北辺の半島にあって、人々はなんとか下北半島の振興を図り豊かさを求めて大きな期待を寄せました。しかしながらその期待は思うように叶いませんでした。
しかし下北地域は過去の盛衰を経験しながらもめげることなく新たな挑戦に取り組んでいます。それは科学技術創造圏を目指した核融合とレアメタル精製技術の開発です。
国際社会の将来に不透明感が強まっている今日、明治から現在まで下北半島が歩んできた開発の歴史を俯瞰し、なぜ国家的な事業を受け入れてきたのか、地域の期待に応えることはできたのか、当時の時代背景や地域の実情、先人たちの地域振興への熱い思いや努力をあらためて確認しながら、これからの下北半島の将来を担っていく次世代に伝えて、盛衰の歴史が繰り返さないことを願うものです。 「本の紹介コーナー」


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