
【第4回】インバウンドは地域活性化の救世主となるのか
知的観光のすすめ
観光スポットの拡充と滞留時間の延長
青森を旅して良かった、また機会をつくって来よう、という気持ちになってもらうことが観光には大事なことで、通りすがりの一過性でなく、継続性のあるリピート観光をめざすべきでしょう。これはインバウンドも、日本人観光客にも同様のことが言えます。
訪日観光客の観光目的を見ると、その土地の食や土産物のほかに歴史や文化にも高い関心があります。特に欧米人にはその傾向を強く感じ、その国の歴史や文化に触れて学ぼうとする意識が強い一方で、日本に憧れるアジア人には食や土産など物欲的な傾向が強いように感じます。青森には観光客の多様な価値観を満たす多くの地域資源があります。新鮮な食や四季折々の美しい自然、雪と温泉はもちろんですが、津軽塗、津軽ビードロ、こぎん刺し、南部裂織、世界遺産の縄文遺跡群、青函トンネル(掘削技術)、ホタテなどの養殖(技術)など、外国人にとって魅力的な資源がたくさんあります。そのほかに青森が輩出した世界的に著名な人物、たとえば棟方志功、太宰治、寺山修司、三浦雄一郎、写真家でピューリッツァ―賞を受賞した沢田教一など、外人観光客やマニアにとっては垂涎の的ではないですか。ただ加工品や菓子などの土産物を買ってもらうだけでは限界が来ます。郷土出身者の生き様を大事に誇り思い情報を発信するなど、物語性のある観光メニューを用意することが、リピート性と持続性のある観光地の育成につながると思います。観光客や時間調整のビジネスマンなどが一時滞留できる観光空間を整備する工夫が欲しいところです。
最近、県は青森市本町にある県立郷土博物館(現在閉館中)を廃止して弘前市へ新設すると発表しました。県都に置くべきだとか、歴史ある弘前が相応しいとか、賛否がありますが、すでに決まったことですから、廃止となる博物館の跡地をどのように再利用するのか大きな課題です。休館中の博物館の建物は、昭和6年に第五十九銀行青森支店として新築され昭和44年まで使われていて、平成15年には一部が登録有形文化財に指定された由緒ある建造物です。青森市内には、閉館した青森国際ホテルやクラウンパレス(厚生年金会館)など、リノベーションして再利用できるりっぱな遊休施設が目立ちますが、早急に手を入れないと設備が老朽化してしまい再利用は叶いません。閉鎖と決まった博物館も廃墟とならぬよう早急に建物の保全を図りリノベーションして再利用を検討すべきです。もちろん閉鎖すると決めた時点で県は対応策を考えているとは思いますが。
愚案ですが、前述した世界的に著名は郷土出身者の功績を一堂に展示した人物資料館にリノベーションして新たな観光スポットとして再利用することはどうでしょうか。県都の歴史ある建物ですから、その有効利用については専門家や広く市民からアイディアを募るなどして市民の意識喚起を促すことも必要でしょう。
※沢田教一
青森市(橋本)出身(1936年~1970年)の報道カメラマン 三沢基地内の写真店勤務を経てUPI通信社へ。ベトナム戦争に従軍カメラマンとして活躍、ベトナム南部で戦場から川を渡って逃避する2組の親子を撮影した「安全への逃避」で世界的権威ピューリッツァ賞を受賞する(1966年)。取材中にカンボジア南部ベトナム国境の近くで銃撃により死亡。青森高校で寺山修司と同級

※ピューリツアー賞は、アメリカにおける新聞、雑誌、報道における功績者に贈られる。ジャーナリズム界では最高の権威ある賞。日本人は沢田のほか、長尾靖(1961年、浅沼社会党委員長の暗殺の瞬間を撮影)、酒井淑夫(1968年 ベトナム戦争の撮影「より良きころの夢」)の3名がいる。
旅に知性を
1960年代の高度経済成長で豊かになった日本は観光ブームに沸きました。旅行会社は競って観光ガイドブックをつくり、各地は観光客の誘致に躍起となりました。その中1970年代初めに創刊された旅行雑誌「るるぶ」は代表的で、“見る、食べる、遊ぶ”型の観光がブームの端緒になりました。今はガイドブックに代わってSNSの普及と“映えブーム”の中、駆け足で観光地を巡るスタイルに変化しています。横並び意識に火がついて、人が行った観光地にとにかく行って同じ体験をして満足して帰ってくる、そこには「自己」や「個性」のない観光スタイルがあります。本当に自分はそこに行きたいのか、人が行くから自分も行かなくてはという焦りなのか。最近、旅行雑誌じゃらん(1990年創刊)が来年3月の北海道版の廃刊をもって姿を消すことになりますが、紙媒体の敬遠や名産品やグルメ、旅館ホテルの紹介をコンセプトとする情報の限界を象徴することではないか。
民俗研究の第一人者、宮本常一(みやもとつねいち 1907~1981年)は、全国をくまなく歩き、見て、聞いて、その土地の風土、慣習、歴史、産業などの実情について写真と執筆を残し、地域おこしの先駆けとなった人物です。まちおこし、むらおこしを志す方にとって金字塔的な存在と言えます。
宮本は大手出版社に勤務した時期に、日本観光文化研究所(当時の近畿日本ツーリストの資料室)の機関誌「あるくみるきく」(1967年創刊、1989年廃刊)を創刊しました。日本は高度経済成長によって旅行が国民に広く普及する一方で、観光地では観光公害が生じていました。今のインバウンドのよるオーバーツーリズムのような様相です。宮本は、ただ単にガイドブック(今はSNS、インスタ映えなど)を手にしてそこに掲載されている場所に行き、食べて土産を買って、それで納得して帰ってくるという旅のスタイルに警鐘を鳴らしました。まさに「るるぶ」の旅行スタイルです。宮本は「旅にもっと知性を持たせ、ガイドブックに依らず自由に歩き、ものを見て、触れて、学び、人と交流して、考えてみる機会をつくりたい」という強い思いを抱きます。旅を社会教育の場に育て、地方の未来に役立つようにと願ったのです。地元が自信を失っていたり、気がつかなかったものに、“こんな素晴らしいものがあるじゃないか”と評価を地域に与えられるような知的な旅や旅人を育て、地域交流を通じて地域の自信や気づきにつながる観光を勧めていました。今、インバウンドに押されて日本人の観光需要が減少しているとの指摘もあります。オーバーツーリズムを嫌って観光を控えているのか、インスタ映え観光に食傷気味になっているのか、インバウンドに浮かれている今、日本の観光はある意味、転換点に来ているのかもしれません。じっくりと落ち着いて土地の歴史や文化について、地域の人たちと交流しながら学び、知る楽しみや喜びを味わい、知的好奇心を満たすような観光スタイルが見直される時が来るのではないでしょうか。そういえば半世紀前になるでしょうか、当時の国鉄が「DISCOVER JAPAN」というキャンペーンを張ったことが思い出されます。青森の埋もれた良さを発見する旅に出かけましょう。
(参考)
旅学喫茶晴天堂ホームページ ~旅学の「大学院」と「あるくみるきく」の若者たち

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